教育実習を辞めたい方・辞めてしまう方について

教育実習を辞めたくなったり、辞めざるを得ない人が一定数いることを自覚しなければなりません。この記事では、特に教育実習に負担を感じてしまい、途中で投げ出したりやめようか迷っている方について考えます。




教育実習を諦めることにつきまとう不安の数々

教育実習を諦めることは、一見簡単なことに見えて難しいことです。辞める前に周囲のエネルギーを費やします。例をいくつか挙げてみます。

社会不適合・発達障害を疑う

他の人がすんなりと通れる道を自分だけ外れてしまい、能力不足や欠点を自覚してすると、自分を異常者・社会不適合者だと思ったり、所謂「真面目系クズ」だと思い込む。気がつくと、ネットで「社会不適合」「真面目系クズ」と検索している方もいるかもしれません。

また、近頃は、精神障害・発達障害の認知が深まってきていることもあり、自分にはうつ病やADHD・アルペルガー等の発達障害があるのではないかと疑ったりするのは、僕や僕の周囲の人間も経験しています。

退学や留年への不安

教育実習をドロップアウトしてしまったときにつきまとうのが、留年への不安です。多くの大学では教育実習を踏まえない課程を設けていません。仮に教育実習を踏まえない特例制度を利用したとしても、5年で卒業することを強制されます。

留年できるならばまだ幸運なのかもしれません。退学せざるを得ないとなると、より多くの負荷がかかることが予想されます。これまで大学に入学するまでにかけてきた時間、大学、単位数、をすべて放棄してしまうのはもったいないと考えてしまい、悩む方が多くいると予想します。

周囲の目を気にする・強烈な劣等感に苛まれる

周囲の目が気になります。障害があるとするならばまだしも、特に障害「あいつは怠けている」と思われる心配をしたり、他人の目線を気にするゆえに「自分は怠けているんだ」と思い込んだりすることにつながります。教育実習を諦めたとなると留年・退学が伴う場合がほとんどですが、これらがトリガーになってさらに強い劣等感を強めることにもなりそうです。

教育実習は負担である

実習を辞めること自体にも不安を感じるのは当然ですし、辞めた後の不安感や劣等感も拭えません。しかし、教育実習それ自体が普段の大学生活に比べて明らかに負担であることを否定してはいけません。

突然の実践にかかる負荷

教員養成系の課程の多くを占める理論や座学であり、それに比べて教育実習等の実践は5〜9週間であり、介護等体験を含んでも多くて10週間ほどかと思います。

理論を学習するために構築された学習と生活の習慣は、数週間の実践で求められる習慣と大きく異なります。高校で学習したり大学で理論を学ぶ場合、比較的変化が伴わない静的な習慣のなかで学習することができます。一方、実践の学習面でも生活面でも求められる課題は不規則で動的であり、習慣づけは難しくなるでしょう。したがって、大学で何とか学習についていけた人でも、短期で変化の激しい実践の場では、ドロップアウトする人がいても決しておかしくないと私は考えます。

多くの教育実習では、附属学校での教育実習を終えてから応用実習として公立高校や母校に派遣されるかと思います。動的な環境に適応能力を求められる附属学校での実習で、ドロップアウトを免れない人が多くいるのは当然だとも考えます。もっとも世代の異なる子どもたちや大人たちに接すること自体、負荷になり得ます。

データで見る留年生や退学者の割合

留年生や退学者というのは、皆さんが想像するよりも多いのかもしれません。

4年制大学を4年でを卒業できる人の割合は、毎年ほぼ8割前後を推移しています。平成20年時点では、4年で卒業できた学生の割合は78.7%であるようです。逆に言えば、2割ほどの学生が留年ないし退学を経験しているということです。ただし、教育学部は比較的留年者や退学者等の割合が少ないため、実感と異なると思う方もいるかもしれません。

上記のデータから得られる教訓は、実践の場が少ない大学でも卒業自体が困難な学生も多く存在している、ということです。その原因は授業が合わない、ゼミや科での人間関係に馴染めない、議論や研究がうまくできない等、いくらでも推測がつきます。

データ引用:所定の修業年限で卒業した者の割合(文部科学省HPより。PDFファイルの16/41ページに資料があります。)

最終的には、自分の欠点を受け入れて言葉にしよう

上記で教育実習や大学生活さえ十分負担になり得るということが分かりました。しかし、それは教育実習に行けなかったことを明確に正当化しているわけではありません。もし実習生に能力があるか、あるいは実習生に適合するな実習環境さえあれば、教育実習を終えられた可能性だって十分あるわけです。

教育実習をドロップアウトした方が「自分はダメなんだ」「自分は異常者なんだ」と思い込んで落ち込むことは当然あることです。しかし、その発想は依存を招いてしまい、さらに大学や社会生活を遠退けるきっかけになり得ます。すでに、そういった発想に依存してしまい、大学を避けている方もいるかもしれません。そのような依存状態から脱し、あるがままの自分を受け入れることが、最終的なゴールだと思います。

「これから◯◯をがんばる」と宣言することは、ある種の逃避です。自分を見つめるときには、未来の決意は不要です。むしろ、「ああ、自分はダメな人なんだ。」と心から悟れた瞬間に、ようやく新たな大学生活や社会生活へのスタートを切ることができます。

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