ぼくが大学を留年した理由

僕は大学を留年しました。

大学は無名ですが、国立です。学部は教育学部。

留年を予感させる原因はいろいろあるので一概には言えませんが、僕自身に難があったのにもかかわらず、それ相応の「穴埋め」をしてこなかったのが悪かったのでしょう。

僕の場合、留年は大学入学前からすでに決まっていた気がします。なぜなら、僕自身に難がありましたからね。

まず、僕はとにかく空気が読めませんでした。例えば、していい発言としちゃいけない発言の区別がつかない。そのため、友人たちの話についていけませんでした。国立の教育系の大学生って、そこそこ頭はいいだけでなく、ノリや笑いを理解している人が多い。僕はというと、偶然大学にバラエティ番組で展開されるような笑いを全く理解できていない人間でした。とにかく周囲に合わせて笑ったりと、必死でした。

社会性が試されるアルバイトでも、よく怒られていました。やっていたのは、接客のバイトでした。事務仕事もろくにできませんでしたし、うまくお客さんや社員さんとコミュニケーションがとれませんでした。バイトだけではなく、普段のコミュニケーションも、他人より圧倒的に下手でした。

かといって、特別勉強ができるとか、器用に物事をこなせるわけではありません。僕は英語教育を学んでいますが、英語はできませんし、英語教育もあまり理解できていない。

ひっくるめると、僕は大学や世間で必要とされているニーズを満たせるような人間ではないんだと思います。

もう一つ留年に大きな原因があるとすれば、授業が辛かったことでしょうか。

1年の頃の前期後期は、勉強をしっかりやっていました。授業ではアルバイトの影響でよく寝ていましたが、最低限の課題やテスト勉強は必ずやっていました。

座学とは別に、英語科として英語の能力を試されます。何もできない自分に日々劣等感を感じていました。一番辛かったのは、英会話の授業でしたね。授業に出席するたびに、「なんでみんなこんなに英語が喋れるんだろう」と思っていました。特に、ネイティブの先生から英語で質問されると、あたふたして何も答えられませんでした。当時の僕は、なぜか中学英語を話すのもままならなかった。そんなわけで、授業が終わるたびに自分の能力の低さに泣きそうになっていました。

でも、その能力を埋めるだけの努力はしなかった。努力をしなくてもある程度はなんとかなってしまうのが、大学の怖いところです。




当時は、器用な同級生や先輩たちを恨んでいたと思います。立派に英語ができたり、コミュニケーションがとれる人たちに、自分を嘲笑の対象にされると黙るしかなかった。そいつらから小馬鹿にしたり嘲笑されるのが、たとえネタでも辛いくらいにコンプレックスは育っていました。笑ってツッコミ返せばよかったんですけどね。

2年後期。だんだん授業も英語科でいるのも嫌になってきて、ある日突然授業をさぼり出しました。それも、サボったのはテストでした。テスト勉強もあまりやってないし、もう授業も嫌だし、いいかな、と突然軽い気持ちでさぼり始めました。ある日重い腰を上げてテストのために大学に向かうと、教室で僕がテストを受けるか受けないかでお金を賭けている同級生らがいました。「なんの事情もわかってないくせに」と、僕は冷ややかな目で彼らを見ていました。

それから、3年生の授業もずるずるとさぼり出しました。僕の大学は、1年間で一定の単位を取ると進級する制度ではなく、4年間で一定の単位を取れば卒業ができるカリキュラムになっていました。だから、3年生の途中までは、「まだいける、まだいける」と思い、大学をさぼり続けました。

この辺から、逃避グセがつきました。部活もバイトも、平気で無断欠席するようになった。

そしてついに、3年生の教育実習の初日に実習校に行かなかったことで留年が確定します。

その頃の僕はバイトしかしておらず、バイトのない日は授業に行かずにネットをするか、布団に入っては、眠ろうとしながらも眠れず、「辛い死にたい」という言葉を頭の中で巡らせていました。

僕は実習の数日前から、実習に行くこともなんとなく諦めていました。実習の日を迎えても、ついに外に出ることはしませんでした。昼を迎えると、iPhoneの通知欄が大学からの着信で埋め尽くされました。それでも電話を無視していると、大学の学生課の職員さんが一人暮らしの自分の部屋を訪ねました。僕は諦めて、玄関を開けました。その瞬間に、留年が確定しました。

親にも実習を蹴った旨が大学から伝えられ、僕の部屋に親が駆けつけ、留年を告白しました。勉強、部活、試験、となんとかこれまで乗りきってきた自分にとっては、大きすぎる挫折だったと思います。




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