田舎のスナックのママとの出会いが、沁みた。

突然、1人でスナックに行くことに決めた。

そもそも僕はスナックに行った経験がほとんどなかった。小学校の頃、親に連れられて近所のおばあさんが経営しているスナックに行ったことがあったが、それっきりだった。

僕は今、大学の夏休みを利用して、田舎にある泊り込みのアルバイトに行っている。現在宿泊している部屋から歩いて1分もしないところに、3軒ほどスナックがある。そのため夜になると、外からスナックでカラオケを歌っている人の声が、僕の部屋まで届いていた。

僕は気になって、スナックがどういう場であるのかをネットで下調べし、ついにスナックに踏み込む決意をした。

迷いに迷った挙句、3つのスナックのうち、佇まいはシックで新しいが、もっとも繁盛していなさそうな店を選んだ。

僕は吸い込まれるようにその店に近づき、扉を開けた。

中にいたのは、2人。60歳手前らしいが、胸元が豊かでメイクもしっかりしているママと、常連らしきおじさんだった。

僕はたどたどしく、「すみません、こういう場所は初めてなのですが、大丈夫ですか?」と、ママに告げた。

ママも不思議そうに僕を見ながら、店に案内した。僕はひとまず、カウンター席に座った。

店内には黒いカウンター席にカウンターチェアが8〜9席ほどと、ボックス席が2つ並んでいた。そのボックス席の黒いソファに、おじさんは寄りかかっていた。店内はグレー調で、壁にはオードリーヘップバーンの肖像らしき大きな写真があり、BGMには歌謡曲か演歌のインストが流れていた。

ママは「若い人が来るなんて、珍しいね」と言ったのち、僕の注文を聞いた。

僕は、焼酎水割りを頼んだ。

ママは、「私はここを1人でやっているんですよ」と話した。若い女性スタッフが僕に接客できないことを気にかけた発言だろうか。

ママは僕がどこの人間なのかを尋ねた。僕は、自分が学生であり近隣の施設でアルバイト中であることを、ママに告げた。

しばらくママと僕は話していた。僕がママに出自を話している途中、後方でラフな格好をした酔っ払っいのおじさんが、僕の出身地について「あんたのところは農村が多い場所だね」と言い、農村のことについて語り出した。

僕はおじさんに少し興味を持った。ママがおじさんの席に着いたので、僕もおじさんのいるボックス席に座ることにした。

おじさんは、政治の話、経済の話、男女関係などの話をベラベラしながら、僕を何度か小突いてきた。

おじさんはよくタブーな発言をしていた。「大学生は頭悪い」と話してみたり、ひどい時には「障害者は、結婚しないと生存率が落ちて死ぬ」「だから、障害者は生きる力が弱いんだ」などと話していた。彼の言うことが本当だとしても、僕は内心「上の世代って、こんなにデリカシーのない人たちばかりなのだろうか」と、がっかりしていた。

僕は彼の言葉を聞きながら、「はい。」「そうですよね。」などと言い、話半分にリアクションをとった。ママのリアクションも、とりあえず場当たり的におじさんに合わせたような感じだった。おじさんの話を聞くのが少し面倒そうな様子もうかがえた。

結局おじさんは人の話はあまり聞かず、延々と自分の話を1時間半ほどしていた。

あらかじめママに呼んでもらった代行が店に到着すると、おじさんは残った焼酎を飲み干して万札を1枚出し、陽気にスナックをあとにした。

その後ママは、おじさんの話を聞き続けた僕を気遣い、「大丈夫でしたか?」と僕を心配してくれた。僕は、何も問題ないことを告げた。

のちにママから聞いたが、おじさんはこの店を週1回訪れる常連さんであった。

おじさんは見た目こそ若くて健康そうだが、なんと80歳手前だった。兄弟が12人いたものの、二人は幼くして亡くなっているという。その中で、彼が先ほどのような障害に関する死生観を持つのは当然かもしれない。

しかもそのおじさんは、この街では有数の金持ちらしく、近隣の市に複数の不動産を抱えているようだ。農家でもあり、固定客を持っているそうだ。ライオンズクラブのような慈善団体にも加入していた。本業は土木系で年収も相当いいらしく、銀行も彼のもとに営業に来るほどである。「相当苦労した方なんだろうね」と、ママは僕に話した。




それからママは、僕が話を聞いてくれる人だと思ったのか、自身の経歴を話してくれた。

ママは6人兄弟の1人で、彼女の家庭は自営業をしていたが、あまり豊かではなかったという。ママは末っ子であり、中学在学時に母が亡くなった。中学の卒業間際になると、父親から家業を手伝わされたそうだ。

兄弟は1人を除いて中学しか卒業していなかったが、兄弟同士で出資し合い、1人の兄を大学に通わせた。

それから、ママはブライダルの施設内にあるカフェで稼ぐようになった。そこは社員の憩いの場でもあり、社内の様々な部署の社員と交流を持てた。加えて他部署のお偉いさんから可愛がられ、よく飲み会に連れて行ってもらったり、ときにはビール券などを段ボール1箱分買い与えてくれたこともあったらしい。

きっと、豊かでいい時代だったんだろう。

しかし、結婚して寿退社し、パートとして工場に入ると、若い社員からいじめを受けたらしかった。制服を隠されるのは日常茶飯事で、休憩から帰ると大量の部品が自分のラインに積まれていたという。それでも、ママは負けん気で働いていた。

のちにママのお兄さんが職場の上司と知り合いだったり、社員が以前の職場で取引のために電話で話したことのある人だとわかると、職場の人はみんな彼女に優しくなったようだ。

結婚生活はうまくいかなかった。ママは夫から暴力を受け、娘が幼い時に離婚した。

普段はなんともない夫だったが、酒を飲むと一変し、暴力を繰り返したそうだ。ママは昔から内向的だったため、ただただ夫の暴力や罵倒を受け入れた。夫が来ると食事はおろか水ですら喉を通らなかったという。身体はあざだらけになり相当痩せたが、骨ばった身体を服で隠して、娘のために稼ぎを続けていた。ママは、「今はもう身体も丸くなったんだけどね。」と笑いながら振り返っていた。

ある日、娘が泣いているのに涙が流れていないことを姉から聞き、ママはついに離婚を決意したそうだ。

現在も働いているスナックは、ママが離婚を決意した頃に営むことにしたものだという。

ママは昼夜働いていたため、娘が寂しがることが多かったそうだ。スナックは週4で経営していたが、娘に泣きつかれるとさすがに店を開かなかったようだ。

ママは、自分の不注意で幼い娘が肺炎にかかり、のちに喘息を患ったことも話していた。

中学になると娘が過呼吸を起こし、ママは娘を病院に連れていった。身体に不調はないことに気づいた医師は、娘に何かあったのかを尋ねた。娘はその場でわんわん泣いたそうだ。

どうやら娘さんは部活のコンテストでプレッシャーを感じていたらしく、ついに医師の言葉で心の堰が切れたようだった。結局そのコンテストへの参加は、とりやめになった。

「子育てのすべてがうまくいったかといえば、そうではないんだけどね。」と、ママは振り返った。

それから高校に通い、海外の大学へ留学するために東京の専門学校に通わせた。ついに娘さんはカナダへ留学し、老年学を学んだらしかった。

1人娘が成田に立つ時には、ママは相当泣いたという。地元に帰るまで、涙を流しており、「どんなに泣いても、涙って枯れないんだー、って思ったよ。」と笑って話していた。娘思いのママは、毎月の仕送りも欠かさなかった。

それでも娘は、留学先のカナダから毎日1時間電話をよこしてくれたようだった。きっと、親思いの娘さんなのだろう。

娘にはなるべく色んなことをさせてきた母親だったが、老年学を極めるためには大学院に進まねばならず、院進のためのお金はさすがに無かったようだった。娘さんは現在、事務職員として働いている。

ママは、父親の介護の経験もしていた。父親のガンはリンパに転移し、手遅れだと診断されたために、在宅介護を余儀なくされた。ママは、とのとき泣きながら自分の親のシモの世話をしていたという。しかし数週間経つと、「子どものように接すればいいんだ」とわかり、それから気持ちが楽になったという。父親は、ママが介護を始めて1年半で亡くなった。

ママは、「人生でやるべきことは、ほとんどやったんではないかな。」と、少し誇らしげに話していた。僕の目の前には、立派な母親がいた。

僕がママに「もう人生に悔いはないでしょう」と尋ねると、「娘だけが心残りだ」という。30歳の娘さんは、まだ結婚もしていなかった。一人娘であるため、身寄りは母親以外にいない。「少なくともあと10年は生きたいわね。」とママは話していた。

ママは自分ばかり喋っていることを謝り、僕にこれまでどういう生き方をしたのか尋ねた。とりあえず、僕は大学を留年して親に迷惑をかけたことや、教員になるのを諦めた話をした。

今思えば、親のすねをかじっている大学生が、「死なないように生きたい」「教員の労働環境がでやっていけるほど、僕は強くない」と話しているのを、ママは一体どのような目で見ていたのだろう。経歴からして、この母親や先ほどのおじさんはきっと、どんなに職場がブラックでも、もろともしない人たちなのだろう。

ママはそれでも、僕と話していくうちに、「あなた、優しい人なのね。」と言ってくれた。

「そろそろもうお開きかな」とママは言った。気づけば日付がとっくに変わっていた。僕はお金の心配をすると、「4000円でいいのよ。今は不景気だし、学生さんに(お金を)要求するのはなんだかねえ。」と言ってくれた。

ママは僕の去り際、思い出したように僕の名を尋ねた。僕は、自分の名を告げた。

僕の名を聞いたママは、驚いたように僕の名前を口にし、上の方を少しだけ見上げながら可笑しそうに、こう言った。「私の亡くなった兄と名前が一緒だわ。そろそろお盆だからかしらね。」

僕はその言葉を聞くと、ママにお礼を言い、スナックをあとにした。




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